時事通信は以下のように伝えています。
【エルサレム15日時事】作家の村上春樹さん(60)は15日、イスラエル最高の文学賞「エルサレム賞」を受賞し、エルサレム市内の会議場でスピーチを行った。村上さんは、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ侵攻を批判、日本で受賞をボイコットすべきだとの意見が出たことを紹介した。 村上さんは例え話として、「高い壁」とそれにぶつかって割れる「卵」があり、いつも自分は「卵」の側に付くと言及。その上で、「爆弾犯や戦車、ロケット弾、白リン弾が高い壁で、卵は被害を受ける人々だ」と述べ、名指しは避けつつも、イスラエル軍やパレスチナ武装組織を非難した。
また、朝日新聞は以下のように伝えています。
【エルサレム=平田篤央】イスラエルのメディアは、15日に作家の村上春樹さんがエルサレム賞の授賞式で行った講演について、批判的には伝えず、授賞式に出席したことに力点を置いた。 16日付の有力紙ハアレツは講演を「詩的」と表現し、村上さんが「ガザで多くの無実の人が殺された」と述べた、と客観的に伝えた。また「イスラエルに行くなと言われたが、自分の目で見ようと決意した」との内容を引用した。 英字紙エルサレム・ポスト(電子版)は「得意の難解さで受賞理由を説明」の見出しで、講演は「真にムラカミ・スタイルの、あいまいともいえるもの」としたうえで「時差と政治的反対を押し切ってエルサレムで受賞した」などと報じた。
エルサレム・ポストを読んで見ると、確かに、村上氏が周囲の反対にも関わらず、授賞式に出席したことが強調されています。しかし、その記事には、英国のガーディアンなどと同じく、以下の箇所も引用されています。
"If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg. Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals."
このno matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the eggの箇所は仮定法にはなっていません。壁の存在は現実ですから、壁の正当性や卵の誤りを認める文章として読むことも可能なわけです。(勿論、文脈から考えて、村上氏の意図は壁の正当性を認めることにあるわけではありませんが。)
紛争や対立に関わる問題は、多くの場合、人々にサイドを取ることを求めます。明快に見える行動が意図とは逆のサイドを取ったと誤解されることもあり、サイドを取らないことがサイドを取ることである場合もあります。さらには、サイドを明らかにすることが問題解決への関わりを阻害することもあります。問題の解決が、0か1かの二項対立的な思考からはもたらされない場合も少なくないでしょう。
オバマ大統領の就任演説には、We will not apologize for our way of lifeという箇所がありました。このwe にはその後に続くyou は含まれていません。こうした主語の形式で話す人々から見れば、村上氏の行動とスピーチは、(エルサレム・ポストが言うように、)trademark obscurity に満ちたvagueなものだったかも知れません。
報道によれば、村上氏はwe の後をare all "human beings, individuals, fragile eggs" と続けています。村上春樹氏の行動とスピーチへの評価は、人々の立場や意見によって様々でしょう。(ガザの人たちの意見を直接聞くことは依然として困難な状況にあるわけです。)
ただ、いずれの立場をとるにせよ、《曖昧さ》をめぐる問題も含めて、村上氏の行動とスピーチには、文化共生を考えるための重要なヒントが潜んでいるような気がします。