2009年2月7日 ロバート・M・フリン神父が帰天されました。享年88歳でした。
六甲学院での30年間、泰星学園での6年間を通じて教導を受けた教え子たちが先生を見送ろうと、通夜と告別のミサに集いました。平日であったため、駆けつけたくても思いを果たせなった方々も多かったと思います。(その方々には、すぐにも駆けつけたい思いを抑え、それぞれの責任や義務に専心することを先生も望まれたでしょう。)
教え子たちによるミサの説教と弔辞は本当に素晴らしいものでしたので、ここで先生について拙い言葉を重ねることや、個人的な思い出を語ることは控えたいと思います。
ただ、フリン先生のご帰天の事実は勿論、自分がフリン先生に学んだことさえ知らない「教え子」たちのために少しだけ書いてみたいと思います。
Progress in English という教科書で 英語を学んだ人がどれほどの数にのぼるのか、私には分かりませんが、ある意味で、その人たちはみんなフリン先生の教え子だと思うのです。
「受験校で使われている高度な教科書」という程度の認識しかもっていない人もいるかも知れません。しかし、フリン先生が一人でその基礎を作られたProgress in Englishはただの英語の教科書ではありません。そこには先生の思想と生き方のすべてが込められているのです。
例えば、(昔の記憶に間違えがなければ)、以下のような文章がありました。
“The way of the heart” is something heroic, yet something common. It is wise and it is foolish. It is obvious and it is indescribable. To put it in the abstract, it is desiring the true happiness of another and striving to achieve it at any cost to oneself. In a word, it is love. Such is the way of the heart.
よく世間では、言葉は道具だといいます。「使える英語」と言うような人もいます。しかし、道具は何のために使うのでしょう。なんのために使うのか教えなければ、道具を教えたことにはなりません。
フリン先生の教科書は「教科書を教える」ための教科書ではありませんでした。それは「教科書で教える」ための教科書でした。その「教科書で教える」ものは、ただの道具ではなく、何故、道具が必要なのかという本質です。
自分では教え子だと気づくこともない人々も、ふと教科書の一節を思い出して、人生のヒントを掴むことがあるかも知れません。