教養教育:研究

[2008.10.29]  2008:10:29:19:36:07
モンゴル学 


dsc00026w.jpg  モンゴル思想史。モンゴル近現代文学研究。D.ナツァグドルジの評伝研究及び手稿研究。聖書と典礼のモンゴル語訳の比較研究。モンゴルに関するオリエンタリズムの研究。
 
 
モンゴル文学の基本情報については
 
日本モンゴル文学会のページhttp://www007.upp.so-net.ne.jp/mongolbungaku/、ならびに、『モンゴル文学への誘い』(明石書店、2003)をご覧下さい。
モンゴル文学のテクストや音声はhttp://www.elibrary.mnから入手できます。
 
《D.ナツァグドルジの手稿復元プロジェクト》
2004年から、モンゴル国立科学アカデミー言語文学研究所のサンピルデンデブ博士とともに、D.ナツァグドルジ(注1)の手稿のデジタル化を通じての復元と保存を研究してきました。
ナツァグドルジの手稿のデジタル化研究の成果については、『モンゴル研究』No.24 (モンゴル研究会)の拙論をご覧下さい。

D.ナツァグドルジのフィールドノートの複製を製作しました。本物と全く見分けがつかない精巧さです。


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2006年の秋、急逝されたサンピルデンデブ先生のご冥福を衷心よりお祈り申しあげます。

 
(注1)
D.Natsagdorj (1906-1937)
1906年、清朝支配下のトゥシェトハン(現在のモンゴル国のトブ県)アイマックに生まれる。モンゴル革命当時、卓抜な読み書き能力によって、15歳にして既に新政府の書記官を務め、1925年からレニングラード、その後、ベルリン、ライプチッヒに留学。1929年帰国後、主にモンゴル科学アカデミーの前身で研究員として働き、翻訳や、歴史書、辞書等の編纂に従事するとともに、当時の新しい文学運動に加わって、詩、小説、劇作などの創作活動を行った。数度にわたる逮捕、拘束を経験した後、1937年7月、ウランバートルで不慮の死を遂げた。死後、手稿として残されたものを含む作品集が数度にわたり出版され、1950年代以降、「モンゴル現代文学の父」としての評価が構築されていった。
 
ナツァグドルジ関係のこれまでの仕事
1「Д.ナツァクドルジ・ノート-方法としてのモンゴルの一つの試みとして」(モンゴル研究会 『モンゴル研究』No.7、1984年)
2『近代化と文学-モンゴル近代文学史を考える』(アルド書店、1987年)
3"The Development of Modern Mongolian Short Stories in the Course of Modernization", The 5th International Congress of Mongolists(Ulaanbaatar、1987)
4「ある娘の里帰り」(現代世界と文化の会編『グリオ』vol.7、平凡社 、1994年)
5「モンゴル最初のミステリー小説の謎」(『毎日新聞』大阪、夕刊 1994年11月18日11面)
6「ナツァクドルジン・アーナンダシュリーと会って」(モンゴル研究会 『モンゴル研究』No.16、1995年)
7「モンゴル文学と「純血」ある詩人の娘の死によせて」(現代世界と文化の会編『グリオ』vol.10、平凡社、1995年)
8「D.ナツァクドルジの評価をめぐって」、(『清泉女学院短期大学研究紀要』第17号、1998年)
「未完の構造: D.ナツァクドルジの「ショボーン・サーラル」について」(『清泉女学院短期大学研究紀要』第18号、1999年)
9「モンゴル文学とE.A.ポー」(第66回日本比較文学会全国大会、2004年)
10「D.ナツァグドルジの「黒い岩」をめぐって」(モンゴル研究会『モンゴル研究』No.22、2005年)
11"Digitalization of Natsagdorj's Kharankhui Khad" The 9th International Congress of Mongolists(Ulaanbaatar , 2006)
12「モンゴル文学におけるカノン形成とD.ナツァグドルジの手稿 《妻と子と別れて》を手がかりとして」D.ナツァグドルジ生誕100周年記念学術研究大会(北京大学、2006)
13「D・ナツァグドルジの手稿「黒い岩」のデジタル解析」(『モンゴル研究』No.24、2008)
 
D.ナツァグドルジについての日本での研究は上記拙論の他、東京外国語大学教授岡田和行氏による労作があります。
文献表は『モンゴル文学への誘い』の資料編をご覧下さい。

モンゴル語に翻訳された論文
 
上記6、10、12、13、そして、本学紀要掲載の「日本の文学にあらわれたモンゴル」や『モンゴル文学への誘い』の「まえがき」などがモンゴル語に翻訳され、モimagem008.jpgンゴル国や内モンゴルの雑誌に掲載されました。
拙文の翻訳には困難なことがあったと思われますが、日本人によるモンゴル文学研究がモンゴルの文学研究者にとって、少しでも刺激になる点があったとすれば、十分に意義のあることだと思います。
翻訳に携わった方々へ深甚なる感謝を申しあげます。